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察哈尔圆桌“避免冲突的和平理念和策略”西原春夫主题演讲全文
发布时间:2014年04月16日  来源:察哈尔学会  作者:西原春夫  阅读:1647

私と中国との関係は、1937年に始まった日中戦争に遡る。私が小学校の2年生、9歳のときだ。私は当時の教育をまともに受け入れて、いわば本物の愛国少年だった。だからこの戦争はアジア人の手によってアジアを作る正しい戦争だと信じ込んでいた。

今から思えば大変申し訳ないことだけれども、中国人は昔は優れた民族だったが、今は日本によって指導されなければやっていけない劣等な民族になってしまったと、s当時本当に思い込んでいた。教育とは恐ろしいものだ。

日本が戦いに敗れた1945年、私はまだ17歳だった。人生の中でもっとも多情、多感な時期に敗戦とそれに伴う大きな価値の転換を体験したわけだが、その激烈さは同時代の人以外、だれも想像もつかないだろう。

とくに敗戦から数年たつうちに、わたくし共が全く知らなかった戦争中の実態がだんだん明らかになるにつれて、私はいても立ってもいられないような気持になった。

日本は近隣諸国に本当にひどいことをしてしまった。恨みは三代残るといわれている。日本人はこれから何代にもわたって償いをし続けなければならないだろう。しかし私はまだ子供で何もできない。そこで今しなければならないのは、いつか償いのできるような大人になるまで、このことをしっかり覚えておくことだ、これが当時の私の誓いだった。

私が中国と直接かかわるようになったのは、1982年、早稲田大学と北京大学との学術交流締結の調印のため初めて中国を訪問したときだ。以来32年、時間の関係で詳しいことは述べられないが、初めは大学間の学術交流、次には日中間の刑事法学術交流、最近では、日中間の平和構築のための活動にいささか尽力してきた。

今ではもう「償いをする」という意識を持ってしているわけではないけれども、私の活動の根底にあの17歳少年の想いがこもっていることは疑いないと思う。この話については、今日お渡しした私の本の238ページに書いてあるので後でお読みいただければ嬉しく思う。

2.   これから本論に入る。はじめはお渡ししたレジュメの1.***********。

平和という概念については、広狭二義があると思う。広い意味では、利益が侵されない状態、自分の意思が自由に実現できる状態をいうと思う。そのような広い意味での平和を犯すのは、病気、貧困、暴力、犯罪、戦争などいろいろなものがある。

しかし、狭い意味では、戦争のない状態をいうのだと思う。今日はその意味での平和構築について話をすることにしたい。

戦争は、もともと復讐とか領土拡大とかの動機から起こることが多かったが、最近ではそれが許されないようになってきた。それにもかかわらず今でも戦争の危機を感ずるのは、利益の対立、意見の対立が原因になることが今でも考えられるからだ。つまり、対立の武力による克服が今でも考えられるからだ。

そこで、現在のような状況のもとで戦争を避けるためには、どうやって武力によらずに対立を克服するか、ということに尽きる。最善の方法は話し合って解決することだ。話し合って、どちらかが譲歩すれば対立は解消する。しかし、対立の根が深い場合には、譲歩が困難な場合が多い。問題は、その場合どうするかだ。

私はこの点について、一つの方法を持ち、それを用いてこれまで幾多の対立を克服してきた。それはこういうことだ。

2という数字と3という数字は、未来永劫折り合うことがない。その水準のままでは前に一歩も進めない。この対立を解消するのは、共通分母を作るということだ。

これには二つの方法がある。一つは2+3=5という共通分母を作ることだ。日本では「足して2で割る」という解決方法として昔から有名だ。

しかし、この方法は2と3のそれぞれの本質を損なうから、時としてうまくいかない場合がある。その場合に登場するのが、2X3=6という共通分母だ。これだとそれぞれの本質を損なうことがない。

これを現実社会の具体的な対立状況に即して言うと、共通の目的を持たせるということだ。とくに共通の目的達成が両者の利益になる場合には、対立が解消されやすい。

これを現在の日中間の平和構築に応用してみよう。現在対立のもっとも先鋭化している尖閣諸島の問題について、どちらも領土権の存在を主張し続けている限り、対立は解消されない。戦争の恐れさえ現実化してきた。しかし戦争は絶対にしてはいけない。

領土主権が大切なことは言うまでもない。しかし、ひるがえって国境が引かれた昔に立ち返ってみると、国境の根拠はそんなに絶対正当なものではないことが多い。何百年早く見つけたといっても、何万年もの人類の歴史からすると、ほんの一瞬早いか遅いかの差しかない。尖閣諸島周辺の海域では、魚が、人間が勝手に線を引いて自ら自由を失っている状態をあざけるかのごとく自由に泳ぎ回っているではないか。

尖閣をめぐる対立の克服には、領土主権には触れないで、尖閣周辺の海域から利益をうるという共通目的を持てるよう協議することが必要である。両国政府が直接協議しにくいというのであれば、我々民間人が間に立てばよい。

尖閣の問題は深刻だが、実は対立解消のシナリオができないという深刻さではなく、シナリオ実現が困難だという意味での深刻さであることに注目すべきである。

3.次にレジュメの2.******に入る。これは私のほうから申し出たテーマだが、実はこれも平和構築の方法の一種であり、対立克服、共通目的設定の一方法でもあるのだ。

(1)今話題にした尖閣諸島の問題に象徴されるように、国際問題の中には、対立が厳しくて、現状から出発しては一歩も前に進めないという場合が多い。その場合どうするか。私は対立克服のためには共通分母を作ることが必要だと申したが、それは世の人々が現に使っている「未来志向」という立場に立つことに尽きると思っている。

しかし、未来志向というけれども、その中身は必ずしもはっきりしていないように見受けられる。そこでこの点について最近考えているところを申し上げて、できればその考えを共有していただきたいと思い、今日の懇談会を催していただいた次第だ。

(2)未来志向の基礎になるのは、「歴史を大きな流れとして見る」という観点だと私は考えている。

海の潮流、海流には表層海流と深層海流とがある。表層には、本流も傍流も逆流もごちゃごちゃに流れていて、どれが本流か見分けがつきにくい。ところが深層には本流だけが流れていて、流れの場所は年によって多少変わるけれども、方向は常に一定している。

人間の歴史もこの海流と同じであって、未来志向という場合、人間の歴史の本流を見極め、それの延長線上で物事を見ないと判断を誤ると私は考えている。逆流を本流と見間違うと、大きな過ちを犯すことになりかねない。後で述べるように、日本はかつてその過ちを犯したために周辺諸国に損害を与え、自らの国も滅ぼしたと私は考えている。

ところが、歴史の一断面を切り離して観察すると、本流も傍流も逆流も入り乱れていて、どれが本流かなかなか見分けがつきにくい。そこで意識すべきなのは、歴史の深層を見るという観点である。そのためには、過去から現在に至る人類の歴史を大きな流れとしてとらえるという見方がぜひ必要だと考えるのだ。 

(3)人類の歴史といっても、それぞれの国には違う歴史があるから、どの国の歴史が人類の歴史に一番近いか、見分けがつきにくい。しかし、大きく眺めてみると、歴史には一定の法則があるように思われ、各国の歴史も大きく眺めてみると、その法則を受けて発展してきたといえそうである。

そういう点から見てみると、ヨーロッパの歴史が一番人類の歴史の法則を表しているように見受けられる。とくに近代以降アジアを含む全世界に大きな影響を与えてきたのもヨーロッパの歴史だということも考慮して、そこに現れた人類の歴史の大きな流れを見つけ出す、そういう作業を私は長年続けてきた。

そういう観点で眺めてみると、日本のアジア侵略の歴史も、それと大きく関係していることがわかる。1789年に起こったフランス革命は、千何百年続いた世襲制を根幹とする封建制とそれに基づく国家機構を崩壊させたいという経済的な欲求を実現したものであるから、その後当然経済の発展にふさわしい国家体制、いわゆる市民国家を実現させた。

その結果、資本主義が爆発的に発展し、そこから社会主義を必要とするような深刻な「社会問題」を引き起こすと同時に、他方、発展の遅れた国を武力を用いてでも植民地にするという帝国主義が生まれた。その矛先がアジアにも襲い掛かり、東南アジアはタイを除くすべての国が完全に植民地になった。中国ではアヘン戦争の結果、国内に外国の租界を認めるという半植民地にさせられた。

日本にも黒船による開国要求という形でヨーロッパ帝国主義が襲い掛かってきたが、日本はいち早く西欧先進国並みの国家制度を作ることによって、植民地化は免れた。しかし日本は、単に国家制度を学んだだけでなく、当時ヨーロッパでは当然とされていた帝国主義まで学んで身に着け、これを実践したのがまさにあのアジア侵略だったと私は見ている。

もちろんこれによって日本が責任を免れることは決してないのだが、そういう歴史的位置づけをしないと、その後の人類の歴史の流れも大きくとらえられないと私は考えている。

(4)問題は、アジアにも大変大きな影響を及ぼしたヨーロッパ帝国主義がその後どうなったかである。簡単にいうと、私はそれは第二次世界大戦の終了した1945年に確定的に終焉したが、実はその前、第一次世界大戦の終わったあと、つまり1919年から20年代にかけてこれを終わらせようという先進国の動きがあったことに注目すべきだと思うようになったのだ。

それはどういうことかというと、第一次大戦の悲惨さは第二次大戦に比べるとそう大きいものではなかったけれども、当時としては大変重く受け止められたようだ。そのよい例が、ドイツの歴史学者のシュペングラーが「ヨーロッパの没落」という本を書いて、ヨーロッパの識者に衝撃を与えたところに見られる。

そのようにして、帝国主義やそのための武力行使をやめないとヨーロッパは没落するという意識が広がって、その結果、1928年にはいわゆる「不戦条約」、正式名称は「戦争放棄に関する条約」が締結されるまでに至った。ところがその体制は当時徹底して確立することはなかった。なぜかと言えば、日本、ドイツ、イタリアの三国がその流れに歯向かって、帝国主義的な行動を起こしたからだ。

どうしてその三国がそのような行動をとったか、そこにはある種の歴史法則が働いたように思われる。つまり、三国とも古い国だけれども、資本主義の発達という点からみるとそれぞれ違う理由から先進国に遅れをとり、植民地競争に出遅れたという点で共通していた。

発展途上国が近代化に成功し、国際水準に達したとき、何をやる傾向になるかを明示しているのが当時の日独伊三国だったと思う。つまりその傾向とは、それまで先進国がやっていたようなことをあえてやるという傾向がそれである。そのようにみると、歴史の流れがはっきりしてくると私は考えているのだ。

帝国主義や武力による紛争の解決をやめなければヨーロッパは没落するという意識が第一次大戦後次第に広まり、その意識に担われた大きな歴史の流れが当時すでに始まっていたが、第二次大戦が起こることによって中断した。しかしその大戦を引き起こした日独伊が戦いに敗れたので、その年1945年、その大きな流れは確定することになったと見てよいだろう。このことは、それから数年以内に、かつてヨーロッパ帝国主義の犠牲になった植民地がことごとく独立したところからもうかがえるし、戦後69年、帝国主義戦争が一つも起こっていないところにも表れている。

(5)もちろん戦後69年、激動の歴史は依然続いている。しかし、1919年に暫定的に生まれ、1945年に確定的になったこの大きな歴史の流れは、さらに太く強くなっているように思われる。もっとも、これに対しては、世界に戦乱は絶えないではないかという反論が予想される。

この点につき、私はこのように見ている。それらの戦乱の原因は、戦前の植民地時代の後遺症であるか、民族や宗教の対立に根差すか、あるいはちょうど明治維新後の日本のよとしては、って、すべてが地域的な性格を持つものに限られていると考える。いわば、すべてが歴史の逆流に根差すものであって、本流はそれによって揺るぐことはないと見ているのである。

さらに最近では、経済のネットワーク化が急速に進んで、世界中の国々が否応なくそれに巻き込まれざるを得ないという現象が生まれてきた。そして、それは経済が入り組むことによって戦争ができにくくなるという、大変幸せな現象を確実に加速させていると見ることができる。二国間で考えられる戦争も、その二国はもちろん、第三の国々にも多大な損害を及ぼす可能性が増えてきたからである。このこと自体が戦争の抑止力になるとともに、戦争の芽が現れた場合、国際的な圧力が加わってそれが摘まれるという状態も現れるようになった。

経済のネットワーク化の進展は、戦後ヨーロッパに現れたような共同体形成の動きをさらに加速させることになった。ヨーロッパとは事情を異にするアジアでは、EUような硬い共同体の形成は困難だが、何らかの形の超国家的地域組織がなければ、自国の利益も十分守れないというようになったし、その傾向は今後もますます強まると見なければならない。

それらはひとえに、科学技術が進歩した結果、ありとあらゆるものが容易に国境を大規模に超えようになってきた結果である。科学技術の進歩が止められない以上、この傾向はますます進むと見なければならない。要するに、国境はますます低くならざるをえないということだ。低くなるということは、国境の共同管理の必要性が増すということを意味する。

(6)このような歴史観は、確かに私の個人的なものにすぎないが、アジアに強い影響を与えたヨーロッパの歴史を長年にわたり大きな流れとしてとらえてきた成果でもあり、またアジアにおける平和の確立を考えるのに必要な「未来志向」の基礎となるべき歴史観だと信じてやまない。

一口で言って、(1)科学技術の発達はいよいよますます国境を低くする。(2)国境が低くなればなるほど、個別国家を超える地域的な超国家的組織が必要になる。(3)経済のネットワークが世界中に張り巡らされ、国と国との間の経済の依存度が増えれば増えるほど、戦争はできにくくなる。(4)このような意味でのグローバリゼーションが歴史の本流であり、これは幸い平和の方向を向いているのだから、その流れを意図して強調し、大切にし、これに逆らう逆流をできるだけ抑制する。これがまさに未来志向の中心をなすべきだと考えるのだ。これを私は「未来からのシナリオ」と名付けている。

そして、一方においてできるだけこのような歴史認識を普及させると同時に、他方において、このような歴史認識を前提にした政策を進めるよう国のリーダーに説く、これがわれわれ民間知識人の役割、責務ではないか、これを皆さんに訴えたくて今日北京に参った次第。

とくに中国は世界に大きな影響力を持つアジアの大国だから、このような歴史の大きな流れに沿った政策をとり、世界平和の構築に努力する国になっていただきたい。これを皆様に心から希望して、ひとまず私の話を終わることにしたい。ご清聴感謝する。

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